2016.07.01

遠のく「一つのアメリカ」

(世界経済評論 7月・8月 復刊第4号(通巻685号)巻頭言)

秋山 勇

移民国家アメリカの民主主義を支える仕組みは合理的で実によく工夫されたものだとつくづく感心する。

明確な三権分立と牽制制度、連邦と州の役割分担、国民の代表選出プロセス。
特に国のリーダーである大統領の選び方は世界に例のないユニークなシステムだ。

まず徹底して時間をかける。
立候補の時期にもよるが最低でも1年。
公示から投票まで数週間という選挙に慣れてしまった我々にすれば驚くほど長い選挙期間だ。
この間に何人もの候補者が登場して、次々と篩にかけられる。
有権者が吟味するのは候補者の政見や経歴に止まらない。
外見、性格、生い立ち、家族、友人、学歴、財産、これまでやってきたこと、やらなかったこと。
三面記事的ネタも含め、これでもかというくらい、ありとあらゆる角度から候補者の人物像が詳らかにされる。

何段階もの予選ステージを経て、民主、共和両党の最終候補者が決まると、いよいよ選挙戦はクライマックスを迎える。
中でも両党の正副大統領候補者同士が直接対決する公開テレビ討論会は迫力満点の一騎打ちだ。
ダイヤモンドの原石をガツンガツンとぶつけ合って、どちらが強いかを試すかのような凄味を感じる。
アメリカ国民は、この長いプロセスに積極的に関わり、一番硬くて大きなダイヤに更に磨きをかけ、自らの手で「最強のリーダー」を生み出してきた。

ところが今回の選挙、取り分け共和党の候補者選びは違和感だらけである。
日本のメディアでも何回となく取り上げられているので、その品格を欠くやり取りをここで振り返ることは控えるが、一体何が変わってしまったのだろう。

多くの有権者がワシントンの政治に失望している。
拡大する所得格差や、アメリカン・ドリームに手が届かなくなってしまう寂しさに、やり切れぬ閉塞感を感じている人もいる。
不安を煽るポピュリスト候補の演説は、そんな大衆の心の隙間に入り込む。
時に社会的良識をも否定する激しい言葉が、怒りや嘆きを封印してきた人々の心の鍵を打ち壊す。
溢れ出した負のエネルギーは無防備な攻撃相手を探し求め、不毛ないがみあいの構図を作り出す。
ポピュリスト候補者が巻き起こした無責任な「何を言ってもええじゃないか運動」である。

卓越した経済力や軍事力はアメリカの実力であって魅力ではない。
自由や正義を重んじる父親のような強さ、異邦人や異文化を包み込み受け入れる母親のような寛容さ、そして変化を求め未来に挑戦し続ける若者のような情熱。
これらを併せ持つ懐の深さが人々を魅了してきたのだ。

しかし今回の選挙から浮かび上がる“わがままな駄々っ子”の顔もまた現代アメリカの一面に違いない。
果たしてこれは、“トランプ現象”による一時的な流行り病なのか、周期的な振り子の揺れに過ぎないのか、それともアメリカ自身の多様性がもたらした不可逆の変化なのか。

前々回大統領選挙の時に若きオバマ氏と一緒に国民が夢見た「一つのアメリカ」がどんどん遠のいていくようだ。

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