2016.12.20

「世界なおよし」願う米国に

<2016年12月20日 毎日新聞(朝刊11面) 掲載>

秋山 勇

 米共和党のドナルド・トランプ氏が来年1月20日に第45代合衆国大統領に就任する。「トランプ劇場・本編」の開幕である。しかし、これは人気を求めるショーではなく、厳しい現実の政治である。トランプ氏には「視聴率」ではなく、地に足のついた政権運営を求めたい。
 米国の政治任用職は約4000人。新大統領就任に伴いホワイトハウスや省庁のスタッフががらりと入れ替わる。いつもなら、表舞台で活躍する機会が少なかったシンクタンクや大学の専門家たちが、自分の順番を今や遅しと待ち受ける風景が繰り広げられる。
 ところが選挙から1か月。首都ワシントンを訪問した筆者は、政治機構の中枢で重要な政策提言を行ってきたそうした人たちの元気のなさをひしひしと感じた。トランプ氏は既存の政治の仕組みを真っ向から否定して民意を得た。自らの存在が否定された専門家たちはショックでぼうぜん自失といった状態なのだ。
 だが、意気消沈している場合ではない。トランプ氏の主義主張と相いれぬ考えの人が多いかもしれないが、トランプ政権の船出と共に米国が迷走しかねないと感じてはいまいか。いまこそ培ってきた経験や見識を発揮すべきだ。
 政治経験が無いトランプ氏の経済公約には、つじつまが合わなかったり、不明瞭な政策が多かったりする。だからこそ専門家集団の頭脳が必要なのだ。
 トランプ氏が公約した大幅減税、インフラ投資、規制緩和などの経済活性化策を材料に早くも株式市場は「トランプ銘柄」を中心に活況を呈している。この期待相場はいつまで続くか分からない。トランプ氏はまだ何もしていないし、実際に何をするかも分からない。
 ビジネスフレンドリーな環境を整え、景気をよくするという構想は分かる。しかし、財源の手当ては確実か。財政規律の緩みで高インフレにつながれば一番割を食うのは彼を支えた白人中低所得層ではないか。経済政策を評価するには具体的内容を冷静に見極めることが肝要だ。
 トランプ氏は保護主義的な通商政策を前面に掲げるが、グローバル化が深化する現在の世界に背を向けて本当に米国の雇用と利益が守られるのだろうか。「不人気」を理由に環太平洋パートナーシップ協定(TPP)という高度な経済安全保障の枠組みから離脱することが、米国の利益に合致するとは思えない。
 大手空調メーカーの工場海外移転を引き留めた際の露骨な介入は、正式就任前とはいえ大統領として踏み込むべき領域なのか疑問が残る。
 功成り名遂げたビジネスマンのトランプ氏は手練の駆け引き巧者であろう。しかし、世界一の政治経済大国の次期最高経営責任者(CEO)として、これまでとは次元が違う重責を担うことになる。
 近江商人の経営哲学に「売り手よし、買い手よし、世間よし」がある。世界の平和と繁栄に汗するのは米国の責務だ。商売人の心意気を知る大統領として「米国よし、他国よし、世界なおよし」を実現してほしい。

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