2017.06.30

イラン大統領選挙視察行


所長 秋山 勇

イラン大統領選挙の動静を視察するため、5月後半、テヘランに出張した。この視察ではイランを理解する鍵がいくつか見つかった。本稿では筆者が現地で見聞きした情報に基づく選挙結果分析と、選挙後のイラン動向を考察する。

決選前夜~選挙当日
中東の大国イランでは、昨年1月の核合意でこれまで課されていた国際制裁が一部解除(一時停止)されたものの、期待された海外からの投資は思ったように進まず、若者を中心とした失業率の高さが問題となっている。更なる開放路線や国際協調、外資導入による経済再生などを訴えるのは保守穏健派ロウハニ大統領。対する保守強硬派ライシ師は独自外交や“自立的抵抗経済” 備考 を訴える。選挙直前の報道では両者の支持が拮抗しているという。(備考:他国に依存しない経済という意味)

テヘラン空港到着後、筆者が真っ先に向かったのは市内の投票場だ。イランではモスクや学校が投票場になっており、有権者は自分の好きな場所で投票が出来る。投票場に指定されたモスクの近くまで来ると、順番を待つ人の長蛇の列が、建物の外まで伸びている。しかし長い待ち時間に苛立つ様子もなく、投票に訪れた老若男女には、子連れで来た人もおり、どこか選挙を楽しんでいるようにも見える。

とは言え、やはりモスク入口の警戒は厳しそうだ。銃を抱えた警官が筆者を怪訝そうな顔で見る。しかし運転手の通訳で事情を説明すると、意外なことに投票場の中に通してくれ、写真を撮影しても良いと言う。余りのオープンさに戸惑いつつ中に入ると、投票を待つ市民は建物の中でも男女夫々がきちんと一列に並んでいる。これまで随分と中東の国に出張したが、人が整然と列に並ぶ光景を見るのは珍しい。日本の選挙風景とやや違うのは、投票用紙を記入する銘々のブースは無く、皆が大きなテーブルで堂々と意中の候補者の名前を書いていた点である。
尚、後で聞いた話だが、全国多くの投票場で、予想以上に沢山の人が投票に訪れたせいか、当初夕方の6時頃締め切りとされていた投票時間は結局深夜遅くまで延長された。投票場によっては4時間待ちで投票した人もいるらしい。

勝敗と評価
テレビでは選挙特番を放送しており、ハメネイ最高指導者が投票する様子、ボストンやベルリン等での在外投票の状況なども紹介していたが、選挙の大勢が決したのは投票翌日の昼過ぎだ。選挙管理委員長が国営テレビで、ロウハニ大統領が2350万票、全体の57%を獲得して勝利を確定させたと発表した。最終的な投票者数は4122万人、実に有権者の73%にあたる。ハメネイ最高指導者は国民がこぞって選挙に参加したことを称える声明を出した。公平な選挙を通じて、多くの国民が政治に参加していることがイランの国際的信頼性を担保する、ハメネイ師が考えている所以でもある。

選挙後に筆者が各所でインタビューをした結果、ロウハニ大統領の勝因には、現職の強みである圧倒的な知名度の高さや、4年間の政権運営実績などが上げられた。また、対立する保守強硬派が最後まで候補者を一本化できなかったこともロウハニ勝利を後押しした。テヘラン市長のガリバフ氏が選挙戦終盤になってレースから降りた際、自らの支持者に対して、同じ保守強硬派のライシ師支持に回るよう訴えかけたものの、ガリバフ支持者の中には、彼の主義・思想ではなく、現役市長としての行政実績を買っていた人もいた。従いこのように、大統領に高い実務能力を期待する層は、ロウハニ支持に流れた可能性がある。

しかし最大の勝因は、保守強硬派の大統領が登場すれば、再び欧米と衝突して経済が大混乱したアフマディネジャド時代に逆戻りしかねない、と考えた有権者が多かったことだ。この点ではロウハニ大統領の選挙戦術も功を奏した。全国民が注目する大統領候補者テレビ討論会では次のような場面があった。
ライシ師: 「ロウハニ大統領は、世の中が上手くいっていない理由は全てアフマディネジャド氏が悪かったせいにするが、核合意の果実は何処へ行ったのだ?」
ロウハニ大統領: 「ライシ師、あなたこそ、まるでアフマディネジャド氏の再来のようではないか」
二人の激しい応酬を見守る視聴者の心に、ライシ師に対する懸念が強く芽生えたという。国民はロウハニ大統領第一期(2013~2017年)へ色々と不満もある。だからと言って、それより前の時代には再び戻りたくない。従い強硬派のライシ師を敬遠した、即ち消極的な選択肢としてロウハニ大統領に票を入れたのであった。 

敗退したライシ師は1577万票、38%の得票率であった。立候補時点で知名度が極めて低かったことを考えれば善戦と評価する声もあるが、保守強硬派は約3割程度の「組織票」が見込めることを考えると、妥当な結果と言える。イランの大統領任期は連続2期8年までである。従い次回の2021年選挙にはロウハニ大統領は出馬できない。他方、現在56歳と若いライシ師は4年後に再び挑戦する可能性がある。

所感
今回選挙を視察して興味深く感じた点をいくつか紹介したい。一つ目は、現地で聞いた話を総合すると、選挙戦はロウハニ大統領が終始リードしており、日本で伝えられていたほどの大接戦では無かった点である。筆者が興味を引かれたのは、ロウハニ大統領勝利が決定した5月20日の夜だ。テヘランでは現職大統領の再選を祝い、クラクションを鳴らしながら街を走る車あり、ロウハニ応援旗を振りながら練り歩く市民あり、と深夜まで大騒ぎをしていたが、当局は厳しい取り締まりをしなかった。おそらく当局もロウハニ勝利は想定通り、即ち反ロウハニの保守強硬派が、選挙に負けたショックで暴動を起こすとは、最初から考えていなかったのではないだろうか。

二つ目はインスタグラムだ。イランではフェイスブックやツイッター、ユーチューブなどのSNSは公式にはアクセス出来ないが、インスタグラムは例外的に利用が認められ、正確な統計は無いものの、若者を中心に多くの国民が使っている。ロウハニ大統領のアカウントは170万人のフォロワーが、またハメネイ師は200万人、アフマディネジャド氏も18万人のフォロワーがいるらしい。昨年のアメリカ大統領選挙ではトランプ氏のツイッター作戦が成功したが、今回のイラン大統領選挙でも、候補者達はインスタグラムで有権者に直接メッセージを発信していた。従来、選挙に勝つ方程式は、資金と組織を活かした動員力の最大化であったが、今や世界の何処でも、SNSの有効活用に置き換わりつつある。時代の潮流は間違いなくイランにも押し寄せている。

三つ目は投票用紙の記入の仕方である。有権者は、身分証の提示と引き換えに、投票用紙を受け取る。その際、身分証に、“投票用紙配布済み”を示すスタンプが押される。投票者はまず投票用紙の左側に自分の氏名を書き入れ、人差し指で拇印を押す。この左半分を真ん中で切り取って管理委員に提出した後に、右半分の用紙に意中の候補者名を記載する。用紙には、例えばロウハニ大統領に投票するのであれば「(名)ハッサン、(氏)ロウハニ、(候補者番号)55」といったように、候補者氏名と候補者番号を自書する。用紙に予め印刷された候補者から誰かを選択する方式ではないので、“知名度の高さが選挙の鍵”と言われた理由にはうなずける。これを筆者に教えてくれたイラン人は、「実際に調べられることはないが、真面目な選挙で、”ミッキー・マウスに一票“などと悪ふざけをしないよう、投票用紙の右と左には同じ識別番号が印刷されており、誰が投票したのかをトレースできるようにしている」と付け加えた。要するに記名投票と同じなのだ。自由で民主的な空気。一方で実質的には記名式で行われる監視選挙。イランの複雑な現実をここに見た。

最後に ~ 今後のイラン・中東情勢考察:
前回2013年選挙の51%から今回57%へと支持率を伸ばしたロウハニ大統領だが、けして安泰ではない。ロウハニ大統領は保守穏健派と改革派の支持を受けたが、彼は基本的に現体制を肯定する保守派であって、故ラフサンジャニ師のような根っからの改革派政治家ではない。しかし改革派の支持なくして選挙の勝利は無かったことを考えれば、保守的な考えと相いれ難い改革派アジェンダについても、今後は一定の考慮をしなければならない。また敗れたライシ師は、選挙後に「私を支持した1600万人の国民を無視してはならない」、即ち“保守強硬派を敵にすると厄介なことになるぞ”と早くもジャブを繰り出してきた。

更に、対外融和を掲げるロウハニ大統領は、米国とも折り合いをつけねばならないが、肝心のトランプ大統領は、オバマ時代の対イラン政策を180度転換、イランと徹底対峙の姿勢を見せる。またトランプ大統領は先の初外遊を利用して、仇敵のような間柄のアラブ諸国とイスラエルを「イラン包囲網」という共通項で結び付けるという、新手の技も繰り出した。ロウハニ大統領にとっては前門に虎、後門に狼、裏門にはライオンの状態だ。

ただしトランプ氏には商売っ気を感じさせる面もある。もし彼が、イランという有望市場を前にして、米国だけが指をくわえて見ているという状況について、それが米国企業にとって是か非かを冷静に計算していれば、将来は違った展開になるかもしれない。現下の米国国内政治の情勢を見れば、トランプ氏にそんな余裕はないとも言えようが、彼の予測不能性は常に頭の片隅に置いておく必要はある。

また、視点を中東地域全体に拡げれば、イラン国民が穏健派大統領を選んだことで過熱気味の中東情勢も少しは静まるだろうと思ったのだが、どうもその考えは早計であったようだ。6月に入ると中東情勢に影響を与える出来事が色々と起きている。まずイランと断交中のサウジが中心になって、突如、カタールとの国交を断絶。これに対する米国のリアクションは一貫性に欠け、その曖昧な態度も問題の紛糾を助長している。また同じ時期にテヘラン市内でISがテロを敢行し、イランは報復措置としてシリアのIS拠点をミサイル攻撃した。一方で、イラクにおけるIS最大拠点、モスルの陥落は近いとされている。

中東情勢は、変動因子が多く、且つ次々に入替るため、シンプルな方程式で読み解くことが出来ない。中東と重層的な関係を持つ米国やロシアのようなグローバル・プレイヤーの動きも含めて、世界を大きく俯瞰する視野が、この地域の理解にとって欠かせないが、個々の国への理解を深めることも必要だ。本稿がイランや中東情勢を考える一助となれば望外の幸いである。

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