2018.07.11

「内外価格差」が日本の物価上昇圧力になる日


チーフエコノミスト 武田 淳

「内外価格差」と言えば、かつては政府による規制、閉鎖的な商習慣や流通経路などに起因する、日本の物価の高さを指摘する際に良く用いられた言葉という印象が強い。象徴的な事例を一つ挙げると、80年代から90年代にかけて大きく変化した大型小売店の出店規制がある。この頃は、規制があるが故に国内市場で小売店間の競争が抑制され、その結果、円高が進み海外製品が割安となっても輸入品の市場参入が進まず、消費者が海外より高い価格で商品の購入を強いられた。その後、この「内外価格差」の是正という意味も込めた「価格破壊」という流行語とともに値下げの動きが広がり、その後のデフレにつながるわけであるが、それはさておき、「内外価格差」という言葉は、日本の物価が海外に比べ割高な状態を指すことが一般的だったように思う。

しかしながら、最近は逆に海外の物価の方が高く感じることが増えた。先月、久方ぶりにニューヨークへ出張した際には、その印象が一段と強まった。例えばホテル。ロックフェラーセンター近くの中心街ということもあるが、宿泊予約サイトで最低限の設備にとどめた最安値の部屋を探しても、300ドル強の部屋代に各種税金が上乗せされ360ドル程度、日本円にして1泊で約4万円にもなった。ロビーもないようなビジネスホテル・クラスでもこの値段であり、すぐ近くの世界的に有名なホテル・チェーンに至っては1室600ドル(6万円強)以上だそうである。同じチェーンの新宿にあるホテルは同程度の部屋で3万円くらいなので、約2倍の価格差にもなる。そのほか、地下鉄料金もニューヨークは1回3ドル(約330円)、東京メトロの初乗り(170円)の約2倍であり、コンビニエンスストアのサンドイッチやドリンクも概ね東京の2倍前後の価格帯で売られていた。

こうした、実際に購入する際の価格を基準としたお金の価値の比較、言い換えれば購買行動に基づく通貨の価値比較を、経済学の世界では「購買力平価」と称しており、各通貨の経済的価値と、実際に取引されている相場とを比較する際の目安として活用されている。その計算方法はやや複雑につき、ここでは説明を省略するが、国際通貨研究所の試算によると、「消費者物価」を基準とした購買力平価は、2018年4月で1ドル=124.04円となり、実際のドル円相場107.49円と比べ、1ドル当たりの円価格は高い。つまり、米国では1ドルで買えるものを日本で買うと124円かかるということになり、先のホテルや地下鉄の例とは異なり、日本の物価が米国よりも割高だということになる。ただ、この試算の基準となる「消費者物価」には、貿易取引ができず為替相場で調整されないものも多分に含んでいるため、物価水準の正確な比較には不適当だという指摘もある。そのため、主に貿易可能な商品から成る「企業物価」(企業間の取引価格)に基準を変えて計算すると、4月時点の購買力平価は95.94円となり、実勢のドル円相場よりも1ドル当たりの円価格は低く、日本の物価は割安ということになる。こちらの方が実感に近い。

なお、この「企業物価」に基づく購買力平価が実勢相場と逆転し、日本の物価が割安に転じたのは約5年前であり、以降、両者の乖離は広がっている。背景は、言うまでもなく日本の物価が米国ほどに上昇していないことである。先述の通り、日本の物価水準が現時点で米国に比べ割高なのか割安なのかは、どの物価を基準にするかで異なるわけであるが、いずれにしても、より重要なことは、日本の物価上昇が米国に比べ緩慢なため、確実に割安な方向に向かっているという事実である。そして、先に記した筆者の実感だけでなく、直観的な購買力平価の代表的な指標とされる「ビッグマック指数」(各国のビッグマック販売価格を基準とする購買力平価)も、米国の5.28ドルに対して日本は380円(約3.45ドル、いずれも2018年2月現在)と3割以上も安いことを踏まえると、既にかなりの分野で日本の物価が米国に比べ割安になっているのではないだろうか。

仮に今後、こうした日米の価格差が修正されていくとすれば、その経路は①円の対ドル相場の上昇(ドル安円高)、②日本の物価上昇ペースが加速、③米国の物価上昇ペース鈍化、などが考えられる。米国経済の現状に鑑みると③の可能性は極めて低く、①の円高進行によって修正される部分が大きいと一般的には考えられている。その具体的な波及経路は、海外に比べ割安な国内価格を理由に輸出量が増加(輸入量が減少)し、貿易黒字が拡大することで円高圧力が高まるというものである。しかしながら、人手不足が象徴する通り、マクロ的に供給力不足状態にある現在の日本において、輸出量を増やす(輸入を抑制する)ために生産能力を拡大する余地は大きくない。そうであれば、企業の合理的な行動は輸出品価格の引き上げや輸入の拡大であり、その結果としての輸出企業の収益拡大は賃金の上昇を通じて、また、割高な輸入品の増加は競合する国産品の値上げ余地を拡大させることで、国内物価の上昇圧力になるのではないか。さらには、最近の訪日外国人の増加が、これまで貿易可能な工業製品に限定されていた「内外価格差」の修正範囲を、サービスの領域にまで広げることになる。そう考えると、永きに渡るディスインフレ・デフレの結果、「国内割安」に転じた「内外価格差」が、国内需給の逼迫やインバウンド需要の拡大を通じて縮小する形で、日本のデフレ脱却に一役買う日が来るのも、そう遠くないように思える。

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