2025.07.04
習近平体制の行方――噂と真実
研究顧問 高原 明生
「家長制は派閥につながる」
中国は「噂社会」の国だ。噂のことを中国語では「小道消息」という。7月5日に大災害が襲うという噂は日本でも出回っているが、その類の噂を信じるのは圧倒的に中国人が多いことだろう。約30年前、北京に住んでいた頃、雇っていたお手伝いさんが今晩は絶対に寝てはいけない、地震が来るからと真剣な顔で言ってきたことがあった。もちろん私たち家族は普通に寝たのだが、翌日出勤したお手伝いさんの顔は寝不足でむくんでいた。今回は、来日する観光客の数に影響が出るほど、噂は広く信じられているようだ。
自然災害ばかりではなく、最近は、中国政治についての噂も多く耳にするようになった。だが、今の時代、政治についての噂をSNS上で伝えることはできない。すぐにアカウントを閉鎖され、公安にドアをノックされてしまう。それでも、様々な「小道消息」が口伝えで流布するのは相変わらずだ。実際、噂が広まるだけの話の「材料」には事欠かない。もちろん、焦点は人事にほかならない。
早くも昨年の春頃には、習近平がかつての勤務先から中央に引き上げた子飼いの部下たちの間で、福建省出身者から成る福建閥と浙江省出身者の浙江閥が争っているという噂が盛んに流れた。遂には、山東省出身の習近平夫人、彭麗媛教授が(国防大学軍事文化学院および中国音楽学院で教授を務めたので公式にも教授と呼ばれる)山東閥をつくっているとまで言われ始めた。その後、昨年5月には、王毅外相がファーストレディー外交を称賛したり、彭麗媛が中央軍事委員会幹部考課委員会の専任委員を務めているという記事が香港紙に掲載されたりした。その記事には、軍服を着て軍の学校を視察した様子だとする写真まで付いていた。
山東省出身のファーストレディーと言えば、中国人は毛沢東夫人の江青を思い出す。信頼できる部下の数には限りがあり、独裁者は家族を重用するようになりがちだ。真実は闇の中であり、噂を鵜呑みにすることはできない。だがかつての「四人組」ならぬ山東閥が作られているという噂の流布は、人々が毛沢東の晩年のイメージでエリート政治を見るようになっていることを示唆している。誰も毛沢東や習近平の権力にはチャレンジしない、だがその後に来る時代を見据えてポジション争いを始めている、という見方だ。
軍においては、習近平が福建省から引き上げた高位の軍人たちが次々と失脚している。2022年10月に習近平を含め7人のメンバーで発足した中央軍事委員会から既に制服組の半分、3人が姿を消した。これを指して、習近平の権力基盤が揺らいでいると称する人もいる。だが、毛沢東が晩年に、忠実な部下だった林彪と袂を分かったのと同じであり、習近平の地位は逆に強固になったと言う者もいる。
鄧小平はかつて、「家長制は派閥につながる」と述べた。繰り返すが、噂は真偽不明であり鵜呑みにはできない。だが、今やポスト習近平時代を見越して、「四人組」や「林彪集団」を思い出させるような派閥間抗争が水面下で展開されていたとしても不思議はない――中国の多くの人々はそう感じていることだろう。
そうした争いを起こさせないように、鄧小平とその後継者たちは国家のポストの任期制や党のポストの年齢制限を導入した。それなのに、習近平は憲法を改正して国家主席の任期を撤廃し、年齢制限の内規を破って党のトップの座に居残っている。「続投」については賛否両論ありえよう。だが、いずれにしても人の命には限りがあり、中国共産党は迫り来る指導者の後継問題を回避できない。
ルカシェンコ大統領の不思議な訪中
この状況の下で、注目の的は習近平の健康だ。最近では、5月下旬から6月4日まで、約2週間にわたって動静が伝えられなかった。5月末近くに開かれたはずの政治局会議についての報道もなかった。中国の公式メディアが習近平の言動を細かに報じ、そのリーダーシップの称賛に専念してきたことを思えば不思議な空白だった。しかし、それだけなら過去にも例がなかったわけではない。今回、チャイナ・ウォッチャーたちの目を引いたのは習近平の再登場の仕方である。6月4日、ベラルーシのルカシェンコ大統領と中南海で会見したことが何の前触れもなく、つまり外国の首脳訪中についての通常の事前アナウンスメントがないまま、新華社や国営中央テレビによって突然報じられたのだ。
今回、観察者たちを驚かせたことは他にもあった。なぜか4日後の6月8日になって、ベラルーシの国営ベルタ通信が両首脳の面談の模様を詳しく報道した。そのウェブサイトには中南海の会見場の様子を映した動画も付いている。どうやら、場所はかつて毛沢東が住んでいた豊沢園の一角にある純一斎という建物で、ベルタ通信によれば、ルカシェンコは「自宅に招いてくれてとても感激している、私も自宅であなたの来訪を謹んでお待ち申し上げます」と習近平に語り、習は「私の執務室はこの隣です」と述べたという。
さらにルカシェンコは記者に対し、「この度の訪問は小グループでの家庭的な会合であり、オフィシャルな会合でも、仕事のための会合でもなく、家庭的な会合だった」と繰り返し語った。そして同席したスノプコフ第一副首相によれば、習近平はルカシェンコに次のように述べた。「あなたと私は特別な関係ですから、今日は家族で食事を共にしましょう。歴史上初めて、私の娘が外国要人との会食に出席します」と。会食には、彭麗媛と共に娘の習明沢も参加したのだ。
一体なぜ、ルカシェンコとの「家庭的な会合」を演出し、自宅で会うことにしたのか。ルカシェンコ側は、家族を誰も帯同していない。結論は出ないが、噂されるように習近平の体調が万全ではなかった可能性はある。通常の会見用の部屋に赴くのではなく、自宅の方が便利だったのだろうか。だが習は、72歳の誕生日の翌日、6月16日には専用機に乗り、18日までカザフスタンのアスタナで開かれた中国・中央アジアサミットに出席した。それほど体調が悪いわけではなさそうだが、7月6日から7日にリオデジャネイロで開かれるBRICSサミットには珍しく欠席し、代わりに李強首相を派遣する。さすがにブラジルは遠いということか。
ルカシェンコとの会食に夫人のみならず、娘まで同席させた理由は判然としない。誰もがすぐに思い起こすのは、視察や会合に娘を頻繁に帯同して大々的に報道させる北朝鮮の金正恩総書記だ。だが中国共産党の伝統に照らして、「金王朝」のように後継問題に絡めて子女を政治の舞台に登場させることがありうるだろうか。いずれにせよ、世界第2の大国の権力の行方について様々な噂が飛び交う中で、習近平の家族の情報もこれから注視されていく。気がつけば、次の党大会まで、もう2年しかない。
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