2026.03.23

日米欧で異なるスタグフレーションへの距離感

チーフエコノミスト 武田淳

イスラエル・米国とイランの戦争は収束への道筋が見えず、原油価格の高騰が長期化するのではないかという懸念が強まっている。そうした中で318日から19日にかけて相次いだ日米欧の金融政策を決める会合では、景気が停滞しているにもかかわらず物価の上昇が続く「スタグフレーション」に陥るリスクが意識された。

そもそも、スタグフレーションとはどういう状況を指すのか。一般的に、景気が停滞ないしは悪化すると、失業者が増え、モノは売れなくなるため、賃金や物価は上がらず、場合によっては下がる。しかしながら、そういう状態でも物価が上昇したのが1960年代後半の英国であり、本来は相容れない「スタグネーション(景気停滞)」と「インフレーション(物価上昇)」が併存する状況をスタフグレーションと呼ぶようになった。

当時の英国がスタグフレーションに陥った原因については様々な分析がされているため、ここでは詳細は省くが、つまるところ製造業の国際競争力低下を補うための通貨切り下げであり、財政支出の拡大や金融緩和を景気刺激策として安易に用いたことでインフレ期待が温存され、通貨下落圧力を高めたことであり、通貨安による物価上昇に対して企業は賃上げを迫られ、それが物価のさらなる上昇につながったことであろう。

より象徴的なスタグフレーションの事例は、70年代のオイルショックである。中東諸国の禁輸により原油の国際相場は1バレル=3ドル台から74年には3倍の10ドル超へ、79年には10倍近い30ドル台へ上昇、日米英とも時に10%を超える激しいインフレに見舞われた。60年代英国の前例と異なり、インフレの原因は専ら原油価格の高騰という外的な要因である。

そのため、本来、金融政策で解決できるものではないが、米国ではインフレ期待を力ずくで抑え込むため、政策金利20%超という強力な金融引き締めが行われた。さもなくば、インフレ期待が消費を前倒しさせるとともに、高い賃上げ要求につながり、それを受ける企業もインフレ期待を背景に価格転嫁を進め、インフレを加速させてしまうからである。さらに言えば、高インフレや貿易収支の悪化も、通貨安を通じて追加的なインフレ圧力となるため、その緩和に利上げは有効である。

2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻後のユーロ圏も、スタグフレーションに陥りつつあった。ロシアが経済制裁に対する報復措置として天然ガスの供給を絞ったことにより欧州ではガス価格が急騰、インフレ率は10月に10%を超え、実質GDP成長率は1012月期に前期比マイナスに陥ったが、2023年に入っても高インフレが続いた。そのため、ECBは政策金利を20226月までの▲0.5%から、わずか13か月で4%まで引き上げた。その結果、2023年を通して前期比ゼロ成長が続き、インフレ率は2024年後半に目標の2%程度に落ち着いた。利上げ開始のタイミングは遅れたものの、その後の速やかな利上げがスタグフレーションの芽を摘み取った、というわけである。

こうした経験も踏まえ、ECBは今回の局面でも金融引き締めによってインフレ期待を抑え込むのではないかとの見方が市場では強まっている。ECBはイスラエル・米国によるイラン攻撃後では初めてとなる319日の理事会で政策金利を据え置いたが、2026年の物価見通しを目標の2%を超える2.6%へ上方修正するとともに、成長率見通しを1%前半とみられる潜在成長率を下回る0.9%へ引き下げた。つまり、景気の停滞とインフレ、すなわちスタグフレーションのリスクを示したものであり、前回の反省を考慮すれば、早期の利上げも有り得るというサインだとの受け止めは合点がいく。

米国においては、金融政策の現在地が引き締めを緩める途上だという点で、欧州や日本と異なることに留意が必要である。FRB18日のFOMCで政策金利の据え置きを決めたが、現在、景気が堅調に拡大しインフレ圧力が根強い状況下で次の利下げを探っているわけであり、しかもパウエル議長が言う通り、失業率やインフレ率が80年代を遥かに下回っている点でスタグフレーションには距離がある。議長が経済の動向次第で利下げをしない可能性に触れたのは、ただインフレが鎮静化する前にインフレ期待が高まることを懸念したに過ぎない。

日銀も19日の金融政策決定会合で政策金利の据え置き、すなわち現状の金融緩和の継続を決めた。植田総裁は、その理由として原油価格上昇に伴う見通しの下振れリスクを挙げ、利上げが処方箋となるべきスタグフレーションのリスクは不確実性が高いとして判断を留保した。つまり、原油価格の高騰がインフレ期待を高めると受け止め、引き締め方向に目を向けた欧米とは異なる判断をしたことになる。これを英国の前例に照らすと、景気刺激を優先した安易な金融緩和がインフレ期待を強めるとともに、通貨の下落を通じて物価上昇を加速させ、スタグフレーションのリスクを高める姿が浮かんでくる。

英国はサッチャー改革によってスタグフレーションから脱したが、そのメニューは金融引き締めであり、国有企業の民営化や規制緩和といった民間の力を活用した経済全体の効率性の向上と、その結果としての金利上昇への耐性強化であった。日本においても、安易な金融緩和の継続ではなく、経済全体の金利上昇への耐性を民間主導で高めることが、慢性的な円安によるスタグフレーションのリスク軽減に向けた処方箋となろう。

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