2026.03.26
研究顧問 高原 明生
トランプ大統領のイラン攻撃
トランプ大統領は戦争が嫌いではなかったのか。2月末、トランプ氏は議会に諮ることなくイスラエルと連携してイランの空爆を始め、最高指導者のハメネイ師を殺害した。4年前、プーチン大統領がウクライナに全面侵攻した時にも世界は驚いたが、第2次トランプ政権の性格は権威主義国家と似ているようだ。
トランプ氏が「すぐに終わる」と言っていた戦闘は終わる気配がない。そもそも、この戦争の目的がはっきりしない。攻撃開始直後、トランプ氏はイラン国民に政権奪取を呼びかけた。確かに昨年末から今年初めにかけて、物価高を背景に複数の都市で大規模な反政府デモが繰り広げられた。報道によれば、ハマースやヒズボラといった海外勢力への支援に熱心な指導者への批判や、自由を求め政府の打倒を訴える声も聞かれたという。だが、次々に有力な指導者を殺害されても、イラン革命防衛隊に支えられた体制が揺らぐ様子はない。
3月19日の日米首脳会談では、高市早苗首相が艦船の派遣などイラン戦争への加担を強いられることもなく、日本側はひとまず胸をなでおろしたところだ。だが、それでホルムズ海峡をタンカーが通れるようにはならない。そして本来、首相が首脳会談を申し入れた目的は、トランプ氏の中国訪問に合わせて対中政策をすり合わせることだった。イラン戦争のせいで中国問題は後景に追いやられた感があり、トランプ訪中も5月に延期される見通しとなっている。
日米中関係の現状
実際は、東アジアでも憂慮すべき事態が続いている。昨年11月の台湾有事と存立危機事態に関する国会での高市発言以降、中国の対日姿勢は厳しい。一つには、国内外に向けた宣伝の言葉がいつにまして激しい。広く報道されたのは、「突っ込んできた汚い首は躊躇なく切ってやるしかない」という大阪総領事のSNS上の発言だった。だがその他にも、「日本側が武力介入した場合は正面から痛撃を加える」といった脅しもあれば、世界の注目が集まる2月のミュンヘン安全保障会議では、「日本は台湾を侵略し植民地化する野心を捨てておらず、軍国主義復活の亡霊は消えていない」といった面妖な話まで発信された。発言者は誰あろう、実際の日本を熟知する王毅外相だ。荒唐無稽な宣伝は逆に信用を落とすにもかかわらず、「日本による台湾統治時代、数十万人の同胞が殺され、鉱物資源や民生物資は狂気じみた略奪にあって、台湾の歴史上最も暗黒な一頁が書かれた」という外交部報道官の発言もあった。
他方、経済や文化に関わる対抗措置には厳しい面と、いわば峰打ちに留めている面がある。中国側は日本人歌手のコンサートを歌の途中で中止させることまでして、文化交流、学術交流や学生交流、地方自治体の交流まで凍結した。今年に入ってからは、日本の軍事力向上につながるあらゆるエンドユーザーや用途への軍民両用品の輸出を禁止し、第三国の組織や個人もそれらを日本に転売した場合は法的責任を追及すると発表した。そしてそれに続き、日本企業20社への軍民両用品の輸出を禁止した。だが民生用途の場合には影響はないとも言明し、報道によれば、本年1-2月に重希土類やその成分を含む高性能磁石などの対日輸出は減少したものの、レアアース磁石の輸出は前年同期比で9.7%増加した。
他方、米中関係について言えば、中国側はトランプ訪中に大きな期待を寄せている。3月の全国人民代表大会(全人代)の会期中、王毅外相は米国とイスラエルによるイラン攻撃について中国は何を訴えるのかと記者に尋ねられた。すると王氏は、軍事行動を直ちに停止し、戦火の拡大を防ぐべきだといった一般的な主張を述べるに留まり、米国とイスラエルを非難しなかった。さらに、月末に予定されていたトランプ訪中に関しイラン攻撃が及ぼす影響などについて問われると、米中が付き合わなければ誤解を生じ衝突や対抗に向かう、いま行うべきは首脳交流の周到な準備だと答え、積極的に訪中を受入れる姿勢を示した。
なぜ中国の日本への対応が言説や交流の面で厳しく、経済の面ではそれほどではないのか。他方、友好国イランが国際法違反の攻撃にさらされているのに、なぜ米国を批判せず、一方的なトランプ訪中延期の申し入れを文句も言わずに受け入れるのか。いずれも、その理由の一端は中国の現下の国内事情にある。
軍の粛清とその効果
政治面では、人民解放軍の大規模な粛清が進行中だ。昨秋の中央委員会総会では、軍の指揮権を有する中央軍事委員会の何衛東副主席を始め、高級軍幹部の人事を司る政治工作部の苗華主任など高位の軍人が9人も解任された。その中には、台湾を担当する東部戦区の司令員や、司令員と同格の陸軍政治委員、海軍政治委員らが含まれていた。さらに1月には、中央軍事委員会の張又侠副主席と参謀部門トップの劉振立委員が重大な規律違反と法規違反の嫌疑により審査の対象になった。
一連の粛清の解釈は大きく二つに分かれている。一つは、習近平中央軍事委員会主席と張又侠副主席の間の権力闘争説だ。それによれば、昨秋解任が発表された人々の多くは福建省厦門を本拠とした旧31集団軍の出身であり、同省で長く勤務した習氏の子飼いであって、張氏らにより地位を奪われた。他方、今回の張氏と劉氏の失脚は、習氏の側がそれに反撃した結果だという。
もう一つは、習氏による軍の引き締め説だ。何衛東や苗華らの主な罪は汚職腐敗と派閥形成であり、習氏は軍内に突出した派閥が出現することを許容できなかった。過去の例では、毛沢東の晩年、軍内で勢力を拡大させた林彪元帥との間で矛盾が生じ、遂には林氏が逃亡を図って墜落死したことがあった。たとえ忠誠心が強くとも、力を強めた部下は独裁者に疎まれる。
では、張又侠はなぜ失脚したのか。ある台湾の研究者は、張氏らを批判する解放軍報の社説や昨年11月に人民日報に掲載された張氏の論文などを分析し、統合作戦訓練のペースと方法に関する習氏と張氏の不一致を見出した。つまり、習氏は軍に対し、台湾をめぐる戦闘に勝利できる統合作戦能力を2027年までに備えよと指示した。だが張論文には、統合作戦能力は2035年までに顕著に増強されると記されており、2027年には間に合わないことが示唆されていた。この不一致が軍内で広く知られるところとなり、習氏は主席の権威を守るために張氏を解任したという。
理由は何にせよ、張氏失脚がもたらす効果は深刻だろう。習氏と父親同士が戦友で、最も信頼されていた張氏まで切られたのだから、習政権で地位が安泰な者はいない。全人代の前には、さらに陸軍司令員を含む9人の軍人が代表資格を剥奪された。粛清の結果、習氏の独裁色がさらに強まり、部下たちの萎縮、忖度が悪化することは必定だ。その一つの反映が、前述の王毅外相のミュンヘンでの発言や次第に広がった日本との交流の凍結なのではないか。高市発言に対するボスの怒りを知らされた下々の者が、忠誠心を示そうと強い対応に出ている気配が感じられる。
足元の経済の不調
他方、景気の悪さは隠しようがない。確かに、AIや自動運転など、多くの分野における中国の科学技術の発展は目覚ましい。全人代で採択された5ヶ年計画でも、研究開発に投資し得意のイノベーションで経済を引き上げようとする意図が見て取れる。だが足元の景気はどうか。昨年のGDP成長率は前年比5%だったとされる。だが税収の伸びは0.8%に過ぎず、物価上昇率はゼロだった。政府は今年のGDPの目標成長率を4.5~5%に設定したが、昨年は平均5.2%だった都市部の失業率についてはそれを上回る5.5%前後を目標値とした。技術の進歩とともに、社会の格差も拡大していく様子が見て取れる。この状況下で想定外のイラン攻撃が始まったが、世界経済が受けるダメージは中国が頼みとする輸出に悪影響を及ぼす。
この状況下で国内の安定を保つには、高性能半導体などの技術の輸入や米国市場の確保のために対米関係を安定させることが重要だ。そして台湾問題に絡んで日本を強く叩く姿勢を国民に示し、求心力としてナショナリズムを活用する一方で、対日輸出規制や渡航禁止は程々にする。それは現実に日中の経済連携が密であり、制裁による損失が中国側にも降りかかるからだろう。
日本は、習近平が振り上げたこぶしをどう降ろさせるのか。実は中国側には、「高市は日本が台湾を守ると言った」との誤解もある。時間はかかるだろうが、原発処理水の放出に中国が大騒ぎした時のように国際的な評価を援用しながら誤解を解き、関係安定化の実益を広く訴えていく他はないだろう。
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